こんにちは、めじろです。
このブログは勉強習慣や勉強法発信していますが、今回は当ブログの読者さんに少しでも伝わればいいなと思うことがあり、いつもとは異なる記事を書いています。
俳優の竹内結子さんの訃報について思うこと
2020年9月27日、女優の竹内結子さんが亡くなりました。
今年7月に起きた三浦春馬さんの事件から、たった2か月後に、また芸能人の悲しい事件が起こってしまいました。
三浦春馬さんの事件によって、私もかなりショックを受けていましたので、「またか…」と、唖然としてしまいました。
でも、これはぜひ言いたいのですが、竹内さんの事件の理由について、私たちが詮索しても、何一つ意味がないんですね。
悲しいから、つい他の記事も読んでしまう…情報収集してしまうという気持ちは、痛いほどよく分かります。人間は、ネガティブな情報により強く引っ張られる本能があるからです。竹内さんのファンだったかたは、もう、本当につらいですよね。
ただ、私は、「人の人生を『○○だったら△△だったのに…』憶測して、感想を述べること」を、美しい行為だとは思いません。
その人にはその人にしか分からない、その人だけの人生があり、私たち一般人が推し量れるようなものでは、竹内さんの人生は決してないからです。
「事件を予測できたはず」「助けられたはず」と言うのは勝手ですが、「竹内さん以外に、竹内さんを助けることはできなかった」のです。
それに、関係のない私たちが、「助けられたのでは?」「もっと話してほしかった」なんて意味のない憶測をすることは、竹内さんの身近な、最も悲しんでいる方々にとって、苦痛になってしまいます。
防ぐことができなかった悲しい事件に対して、「周囲が何かできたのでは」と言うことは、竹内さんを身近で愛していた人を責める行為となってしまうんですね。
だから、たとえ善意であっても、SNSなどで不用意に憶測となる意見を言うことは、やっぱり避けてほしいなと思います。
竹内結子さんの事件についてうつ病を経験した私が思うこと
私は、身近に自ら命を絶ってしまった人がいます。そして、私自身は、仕事のストレスでうつ病になり、何年にもわたる治療期間を経験しました。
そんな経験から、人の心の悲しい側面について、人よりも長く、ときには強制されつつ付き合ってきました。
人のメンタルというのは、とても不思議です。
昨日まで、いや、先ほどまでピンピンしていたのに、急にどん底にまで気分が落ち込み、ベランダから飛び降りたくなったりすることもあります。
この気分の落差は、自分自身でさえ、予測が難しいくらいなので、他の人が予測して、守ってあげるというのは、とてもとても難しいことです。
竹内さんがどのような、そしてどの程度のメンタル上の問題を抱えていたかどうか、私にも、あなたにも、分かりません。
でも、うつ病を経験して思うことは、人間のメンタルというのはとても不思議で、残酷で、予測不能だということです。
メンタル不調の原因も、分かったり、分からなかったりで、専門家の間でも意見が分かれるくらいです。
だから、私たちができることは、「とにかくメンタルの不調を感じても、自分をなんとかして守ること」しかありません。
そのためには、ストレスを極力溜めないことで、自分を追い詰めないようにするのと同時に、「なぜ人は不安になるのか」を知っておくことも、大事なことのように思います。
優れている人の方が、不安になりやすいという事実
人間は、ネガティブな人、つまり不安を感じやすい人が、どんどん増えています。
それは、社会が鬱屈したものになっているからではなく、人間の進化の過程で、「より早く危険を察知できるよう、些細な不安も見逃さない能力」がある個体が、敵からの襲来を免れ、子孫を残してきたからです。
私たちは、生まれたときから、ネガティブなんです。
ネガティブや不安は、劣っているから感じるのではなく、遺伝子として優れているから、感じるのです。
でも、現代においては、明らかな命の危険にさらされることが、先進国ではほとんどなくなってきました。でも、「不安遺伝子」だけは、強く残り続けています。
そのうえ、人は、幸せなときでも、不幸を探すようにできています。「このままではダメかもしれない」と思うことで、潜在的に潜む危険も察知でき、その結果、生き残って子孫を残すことができるからです。
このように、不安を感じやすい人は、ある側面では「遺伝子的に優れている人」なのです。
もし、いまこの記事を読んでいるあなたが、理由のわからない、どうしようもない不安に襲われたら、「これは遺伝子に組み込まれている防御本能であり、身を守るために働いている勘にすぎない」と思うようにしてください。
私も、最初は不安を感じる自分を責めたり、不安をぎゅうぎゅうに心に押し殺したまま「見ないようにする」ことで、乗り越えようとしていました。
でも、それではより不安を強く感じてしまい、メンタルがどんどん、転がり落ちる雪玉のように、手におえないところまで落ちてしまうようになりました。
その結果、本当に生活ができなくなってしまったので、時間は少しかかりましたが、考えを変える練習をしました。
そのうち、「この気持ちやザワザワ感は不安といって、これを感じることのできる自分は、優れているのだ」と思うことで、肩の力が抜け、周囲にも不安を伝えられるようになりました。その結果、自分を追い詰めるほどの無理をしなくなり、自分を守ることができるようになったのです。
もし、自分がどうしようもない不安感に襲われたり、ふさぎこんだりして「もう良いことなんて何もない」と感じている自分に気づいたら、できるだけ早く、自分を追い詰めるのをやめる工夫をしてみてください。
真面目で優秀な人ほど、「自分を追い詰めないこと」は難しいです。練習が必要です。
でも、「自分は不安を感じやすいんだ」「自分は劣っているのではなく、優れているんだ」ということを、まず知ってあげることから、素敵な人生が始まると思っています。
困ったときは「自分」ではなく「他の人」を見よう
人間が不安に打ち勝つのにとても大事な思考法というか、行動があります。
それは、「人のために何かすること」です。
「人生全てが自分が幸せになるための行動」だと考えることは、もちろん悪いことではありません。その方が、ストイックになれますし、効率的に人生について模索することができます。
でも、ネガティブになっているとき、「自分」に極端にフォーカスしてしまうことは、強い不安感に襲われたとき、衝動的に自分の人生を終わらせてしまうことにも繋がりかねません。
そうしたときは、「自分が存在しているのは、大好きなあの人のため」と思うことで、一時的にも幸福度を上げてあげることが大切です。
科学的にも、「自分ではなく、人のために行動すること」が、不安感を和らげ、メンタルを安定させてくれることが分かっています。
繰り返しますが、今回の竹内さんの事件が、こうした不安感によるものだったのかどうかなどは、私たちが憶測しても分かりっこありません。
でも、自分の身を「自分」という「脅威」から守るための知識として、知っておいてほしいと思います。
人間にとって圧倒的に生きづらいコロナ期間をどう生きるか
偶然か必然か、コロナ期間中の芸能人の悲しい事件が多発しています。因果関係は分からないし、そもそも本人たちでさえ、分からなかったのではないかと思います。
ただ、コロナ期間中の自粛ムードが、人のメンタルに悪いことは言うまでもありません。
「ある程度はストレス発散のために外出できる環境の人」とか、「そもそもステイホーム期間が明けたらそんなに気にせずガンガン外出している」などの人は、まだ大丈夫かもしれません(それでも普段よりストレスは溜まっているはずですが)。
でも、仕事の関係で、ステイホームが明けても自粛を保たないといけない人もいます。「コロナにかかることが絶対許されない立場の人」とか、「外出するだけでバッシングされる芸能人・有名人」とかですね。
私は、「コロナにかかることが絶対許されない立場の人」だと思って、ステイホームが明けてからも勝手に自粛モードを貫いていました。
でも、「楽しいことがひとつもない」「どうしても毎晩気持ちがふさぎ込んでしまい、極端に会話が減る」といった、「うつ再発危険信号」がチラリチラリと見え始めてしまいました。
その結果、自分を守るために、
- 常識の範囲内であれば、ストレス発散・遊び目的で外出してもいい
- 映画館も、空いている時間帯なら行ってもOK
- 仕事が忙しくて自炊できないとき・気分転換したいときは、少しくらい混んでても、こまめに除菌する前提で、外食も全然OK
というルールに変えました。
コロナ期間中は、気を付けろと言われていることが多すぎて、真面目な人ほど、知らず知らずのうちに自分を追い詰めています。その結果、メンタルを病んでしまったら、自分の人生を守りきれません。
とはいえ、自分の中のルール変更さえ、躊躇してしまう人も多いと思います。
そんなときは、家族や友人などに、「これ以上我慢するのは限界なんだけど、どのくらいなら、やってもOKかな?」と聞いてみるといいと思います。
私も、上記のルール変更は絶対できないと思っていましたが、案外、「そのくらいなら、してもいいと思うよ!…というか、そんなに我慢してたの知らなかった!」という答えがもらえたりします。
すくなくとも、私たちは「外出するだけでバッシングされる芸能人・有名人」ではないわけなので、もちろん除菌やマスクなど対策はしっかり行った上で、「きちんとストレスを発散して溜めないようにしていく」ことが、大事になります。
自分や身近な人が、コロナ禍で必要以上にしんどい思いをしていないかどうか、ぜひ一度見直してみてください。